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早波 (駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
早波 (駆逐艦)[はやなみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はや]
 【名詞】 1. already 2. now 3. by this time 
: [なみ]
 【名詞】 1. wave 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

早波 (駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
早波 (駆逐艦)[はやなみ]


早波(はやなみ)は、日本海軍駆逐艦夕雲型の12番艦である。
== 艦歴 ==
1942年度(マル急計画)仮称第340号艦として舞鶴海軍工廠で建造。1943年(昭和18年)7月31日に竣工して一等駆逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。
竣工後、藤波とともに訓練部隊の第十一水雷戦隊(木村進少将・海軍兵学校40期)に編入〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.39〕。瀬戸内海に回航され訓練を受けた後、8月20日付で涼波、藤波を加えて第三十二駆逐隊が編成される〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126200, pp.23〕。翌8月21日、駆逐艦、涼波、藤波とともに横須賀に回航され、戦艦山城を護衛して8月27日に瀬戸内海に帰投した〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126200, pp.27〕。9月30日付で第三十二駆逐隊は第二水雷戦隊高間完少将・海兵41期)に編入されるが〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126300, pp.23〕、引き続き第十一水雷戦隊の指揮を受けた〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101200, pp.10〕。
10月15日、早波以下第三十二駆逐隊は軽巡洋艦龍田、戦艦山城、伊勢とともに丁三号輸送部隊を構成して佐伯を出撃。トラック諸島に到着後、10月23日と27日にはポンペイ島への陸軍部隊輸送に2回従事した〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126400, pp.6〕。11月3日にトラックに帰投後、直ちにラバウルに進出。しかし、ラバウルでは連日空襲を受け、11月11日には涼波が沈没した。トラックへの退却の途中、アメリカ潜水艦スキャンプ (''USS Scamp, SS-277'') の雷撃で航行不能となった軽巡洋艦阿賀野の救援にあたった〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101400, pp.11,12〕。トラックに帰投後はクェゼリン環礁およびウォッジェ環礁への緊急輸送作戦に参加した〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101400, pp.12〕。輸送作戦終了後の12月以降は、トラックとパラオ間でタンカー船団の護衛に従事した〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101800, pp.13〕。1944年(昭和19年)1月8日、バリクパパンからパラオを経てトラックへと向かう国洋丸(国洋汽船、10,026トン)、日本丸(山下汽船、9,971トン)および健洋丸(国洋汽船、10,024トン)からなる輸送船団を島風第102号哨戒艇と共に護衛する任務に就く。パラオ到着後、船団にが加わる予定であったが、1月12日に合流地点にてガードフィッシュ(''USS Guardfish, SS-217'')、アルバコア(''USS Albacore, SS-218'')、そしてスキャンプで構成されたウルフパックが来襲。攻撃によって日本丸と健洋丸、漣が沈没し、救援の報告を受けた島風と共に敵潜水艦の制圧に向かったが、結果的に逃走を許している。その後、島風はパラオへ帰還、早波は生き残った国洋丸と曙、同じく救援に来た春雨と共にトラックへ向かった。1月18日、第二水雷戦隊旗艦能代空母雲鷹などを護衛してトラックを出港するが、翌19日にアメリカ潜水艦ハダック (''USS Haddock, SS-231'') の雷撃で雲鷹が損傷し、対潜掃討を行った〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102000, pp.11〕。この後、サイパン島を経由して1月24日に横須賀に帰投した。横須賀海軍工廠で整備の後、2月15日に重巡洋艦高雄を護衛して横須賀を出撃し、2月20日にパラオに到着した〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102100, pp.8,9〕。4月14日からはリンガ泊地にて訓練に励んだ。5月18日、第一機動艦隊小沢治三郎中将・海兵37期)、第二艦隊栗田健男中将・海兵38期)の大部分を護衛してタウイタウイに進出し、訓練を続けた。
6月7日、早波は外洋で対潜掃討に従事していた。この時、外洋ではアメリカ潜水艦ハーダー (''USS Harder, SS-257'') が哨戒を行っていた。ハーダーは前日にシブツ海峡でタンカー船団を発見して攻撃し、駆逐艦水無月を撃沈していた。折からのスコールを抜けたハーダーは、航空機を発見して潜航〔「SS-257, USS HARDER」p.225〕。一時間後、ハーダーは潜望鏡で「吹雪型駆逐艦」、すなわち早波を発見する。ハーダーは戦闘配置を令し、様子を伺うと早波は真一文字に潜望鏡めがけて突進してくる。11時34分、ハーダーは600メートル足らずの距離で早波の真正面めがけて5秒おきに魚雷を3本発射。そのうちの2本が早波に命中し、早波は艦後部を先にしてあっけなく沈没した。第三十二駆逐隊の折田常雄司令と駆逐艦長清水逸郎中佐以下253名が戦死し、45名が救助された。ハーダーの戦闘報告では、発見されてから撃沈までわずか9分から12分の出来事だったと記している〔「SS-257, USS HARDER」p.225,248〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「早波 (駆逐艦)」の詳細全文を読む




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